パクリタキセル物語:科学者たちの戦略
パクリタキセルは抗がん作用を持つ物質です。この物質は「太平洋イチイ」という木の皮から発見されました。
そして、この抗がん化合物の合成に関してある議論が持ち上がりました。この化合物をめぐって、科学者たちはどんな戦略を立てたのでしょうか。
パクリタキセルの発見
ある時、アメリカでとある巨大プロジェクトが動き出しました。そのプロジェクトとは「植物成分を片っ端から調べて、抗がん活性のある物質を見つけ出そう」というものでした。
その中で、「太平洋イチイ」の木の皮からがんに効く物質が発見されたのです。これがパクリタキセルでした
パクリタキセルは有用な抗がん剤でしたが、「太平洋イチイ」から得られるのはほんのわずかでした。また木の成長が遅く、皮を傷つけるとすぐに枯れてしまうという性質ももっていました。
そのため、必要な量を自然界から全て得るのは不可能であり、パクリタキセルを一から合成しようという動きが出てきました。この一から合成するのが「全合成」です。
パクリタキセルの全合成
このパクリタキセルの全合成は30以上のグループで行われ、全世界で合成競争が行われるようになりました。
パクリタキセルの構造はとても複雑であり、有機化学者の興味をあおるのに十分すぎる物質だったのです。下の分子がパクリタキセルの構造です。
この研究には天然物合成の第一人者であるニコラウ(Nicolau)も参加していたが、1993年にホルトン(Holton)のグループが先にパクリタキセルの全合成に成功しました。そして、ホルトンはアメリカ化学会誌(JACS)に論文を投稿しました。
ホルトンの全合成成功から少し経ってニコラウの全合成が成功し、ニコラウはNatureに論文を投稿しました。
ここである問題が発生しました。アメリカ化学会誌は月刊誌で、Natureは週刊誌です。そのため、ニコラウの論文の方が先に発表・掲載されたのです。
論文を受理されたのはホルトンの方が先です。しかし、論文が発表・掲載されたのはニコラウの方が先という変な事態が起こってしまったのです。
これを巡り、「パクリタキセル全合成を先に成功させたのはどちらか」という議論が持ち上がりました。
実は、ニコラウはホルトンが既に全合成を成功したことを知っていました。そこで、「週刊誌であるNatureに投稿して先に発表・掲載してやろう」と考えたのです。これは、超有名人であるニコラウだからこそできた荒業だったのかもしれません。
当然といえば当然ですが、現在は先に全合成を成功させ、論文が先に受理されたホルトンが最初の成功者であるとされています。
パクリタキセルの配給
実際のところ、一から合成するにはお金がかかりすぎるため、パクリタキセルを全合成によって配給するという考えは採用されていません。
現在は「ヨーロッパイチイ」から取り出した成分を原料とし、パクリタキセルを合成しています。これにより、多量のパクリタキセルを得ることができるようになりました。
この合成法はホルトンが開発しました。この特許により、フロリダ州立大学とホルトンは合わせて2億ドル以上ものお金を受け取っています。
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