ストレプトマイシン物語:世界初の結核治療薬の光と影
結核に対する初めての薬であるストレプトマイシンが発見されてのは1944年のことです。それまでは「結核=死」の病気でした。しかし、ストレプトマイシンの発見からその考えは劇的に変化し、結核は治る病気へとなりました。
この薬の発見に対し、1952年にワクスマンがノーベル生理学・医学賞を受賞しました。ペニシリンとストレプトマイシンの発見により、抗生物質の研究に加速がかかり、それからどんどんと新しい抗生物質が発見されていきました。
ストレプトマイシン発見の裏話
ストレプトマイシンの発見は結核患者にとって大きな意味をもつものでした。
そして、この薬の発見者であるワクスマンはノーベル賞を受賞しました。しかし……、ストレプトマイシンを発見したのが本当はワクスマンでなかったらどうでしょうか。
実はストレプトマイシンを発見したのはワクスマンではなく、当時大学院生であったシャッツが発見したものです。この発見をワクスマンが横取りしてしまったのです。
シャッツはワクスマンの所に来て「結核に対する抗生物質の研究をしたい」と申し出ました。ワクスマンはこれを承諾し、シャッツは地下室で結核の研究をしました。
その間、ワクスマンは一度もシャッツの研究室には顔をだしませんでした。当然です。結核に感染したら嫌に決まっています。
ただし、結核菌はそこらへんにいる菌です。全世界の約1/3のヒトが感染しているのですから。だから、シャッツはあまり関係ないと思ったのかもしれません。
研究の結果、たった3ヶ月で土壌の中にいる菌が結核を殺す物質を産出していることを突き止めました。これがストレプトマイシンです。
教授の役割
大学教授の役割の一つに「研究のアイディアを出す」というのがあります。学生にこんな研究をしてみてはどうかとアイディアを出すのです。
ただし、ワクスマンはシャッツにアイディアを提供していません。シャッツは自分ひとりでアイディアを出し、研究を行いました。
ストレプトマイシンの発見者はシャッツであると本人が主張し、裁判にまでなりました。このことはアメリカの新聞「New York Times」に載りました。
「New York Times -Albert Schatz-」
記事を読めば分かるとおり、シャッツはストレプトマイシン発見の共同研究者ということになりました。
しかし、シャッツはノーベル賞を受賞していませんし、その代わりとしてワクスマンが受賞しました。これはよく考えればおかしなことだと分かると思います。
人間性
私は「人間は人間性が一番大事である」と思っています。みなさんもそう思わないでしょうか。
仕事はできるけど怒りっぽく面倒見が悪い人、それに対し仕事は普通だが面倒見が良く誰からも慕われる人。あなたならどちらの人についていこうと思うでしょうか。
究極はその人の人間性だと思います。人の上に立つ人ならなおさらです。仕事ができたとしても、人間的にダメであれば誰もついてこないでしょう。
シャッツはそういう意味では上司に恵まれなかったのだと思います。彼がめぐり合っていたのが人間的に良い教授であれば、「ストレプトマイシンの発見者はシャッツである」として彼がノーベル賞を受賞していたのかもしれません。
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